2007年11月01日
水姫の祈り:序章(1)
月が隠れる夜には不吉なことが起こるものよ、と幼い頃に母親から聞いた言葉が思い浮かんだ。見上げた先では暗闇を煌々と照らし出す満月があって、ほうっと息をつく。同時に夜風が吹いて、身体が震えた。ふわり、と上着が肩にかけられる。そのまま背中から優しく抱き締められた。
「夜に過去を懐かしむと後悔ばかりが押し寄せるそうですよ」
寂しげな含みが込められた声が落ちてきて、思わず頬が緩んでしまう。顔を上向けると、見るたびに溜息が零れる美貌が抱擁と同じ優しい微笑みを浮かべて見つめてきていた。月の光を受けて金色に煌く長い髪が風に流れていくのを眺めながら、首を振った。
「安心して。後悔はしてないから。何度でも言うわ。後悔なんてしない。してない」
まるで呪文のように繰り返すと、その薄い唇から苦笑が零れ落ちた。
「貴女にはいつだって僕の心を見透かされてしまうのですね」
「それだけ貴方を愛しちゃってるのね」
同じような口調で悪戯っぽく言い返すと、抱き締めてくる腕の力が少しだけ強まった。伝わってくる温もりが心地よく、それを感じて胸が熱くなっていく。心に押し込めているすべてが溢れてきそうだった。同じ気持ちを感じているのか見つめている琥珀色の目も潤んでいることに気づいた。
「僕も、愛しています。貴女だけを。ただ、貴女だけを愛しています」
耳元で甘く囁かれる愛の言葉と、熱く触れてくる唇にただ、ただ愛しさを感じていた。
その空で、月が雲に隠れていくことに気づかないまま ――― 。
- by 羽月ゆう