13. 見果てぬ夢(仮)

2010年12月28日

01:始まりの朝(8)>見果てぬ夢(仮)

 ――学校?
 告げられた言葉が聞き慣れないもので、思わず繰り返していた。本で読んだことがあるから、それがどんなところかは知ってる。家庭教師でもあったイチくんから話を聞いたこともあった。もちろん、『霧ちゃんには関係ない場所だけどね』と釘は刺されたけど。
 同じ年齢の子達が沢山いて、そこで一緒にいろんなことを学べる。いつも独りだった霧香には憧れの処だった。
「行けるの?!」
 身を乗り出して問いかけると、悠貴は頷いて書類を差し向けてきた。その中にあったパンフレットの文字、水城学園の名前が目に入る。
 水城って――。
「そう、私が経営している学園です。この中でしたら、多少の融通は効きますし、白銀の手が回ってきても、逃れることができるでしょう」
「まぁ向こうも、素性調査の厳しいとして高名な学校に素性の知れない霧香がいるとは思わないだろ。更にデータは俺の管理下にあるからどうとでもできるしな」
 つまりは、フェイクをいくつも作ることができる。
 木を隠すには森の中。更にその森をいくつも作り出すことができれば、木が見つかる可能性は低くなる。
 ぱぁっと霧香の顔が明るくなる。陽菜も「よかったね、霧ちゃん」と嬉しそうに言ってくれた。うん、とうなずいて、学校という場所に想像を膨らませる。そのとき、冷静な女性の声が割り込んできた。

「――とはいっても、学校の中では目立つようなことはだめよ。あのふたりは耳聡いんだから」

 ハッと視線を向けると、ドアに寄りかかってひとりの女性が立っていた。ほっそりとした肢体にかかる、長いソバージュがかった黒髪。わずかにきつさが見える整った顔。二重瞼の下にある、薄茶色の瞳。口端をつりあげた唇はふっくらと赤く妖艶で全体を包み込む色香は同じ女性でも惑わされそう。
「陽子さんっ!」
 霧香は思わず立ち上がり、彼女に駆け寄った。
「元気そうでよかったわ、霧香」
 ぎゅっと抱き締められ、同時に安心したように息を吐き出す。久しぶりに包まれる甘い匂いに、霧香は懐かしさで胸が一杯になるのを感じた。
(もう二度と会えないかと思ってた……。)
 陽子は霧香が生まれ落ちた瞬間から、ずっと傍についてなにかとお世話をしてくれていた。霧香だけじゃなく、零や一紀の育ての親でもあり、あのふたりも陽子にだけは逆らえないところがあった。彼らが暴走を始めるまでは。
 霧香を閉じ込めることにおいては、陽子の非難にも耳を貸さなかった。必ず助けるから、その約束を最後に彼女に会うことさえ許されなくなって。
「最後に会ってから三年かしら。来年で十八歳? きれいになったわね」
 陽子は抱き締めていた腕を緩めて距離を取ると、霧香の全身をしみじみと眺めてくる。その視線に恥ずかしさを感じて、慌てて首を振る。
「かっ、変わらないと思うけど……」
「そんなことないわよ、ね。陽菜ちゃん」
「陽子さんこそ! 相変わらず綺麗で見惚れちゃいます!」
 話の矛先を陽菜に向けられて、彼女の賛同しようとする気配を感じ取り、霧香は遮るために先に口を開いた。陽菜にまで褒められたら居た堪れなくなる。
「なんだろな、このガールズトークは」
 はぁっとため息が聞こえてきて、視線を向ける。巴がテーブルに頬杖をついて呆れたような目で見ていた。そんな巴に、陽子はふふんっと鼻で哂って口端をあげる。
「うらやましいんでしょ」
「なにがだよ」
「女の子を堂々とこーやって抱き締めちゃえるとこ」
「えー、そうなの? とも兄ってやっぱり変態!」
「陽子さんっ、変なこというなよ! 陽菜っ、てめぇ。やっぱりってなんだ、やっぱりって!」
 べーっと舌を出して陽菜は捕まえようとする巴の手をするりと逃げ出し、明のもとに逃げる。明は陽菜を庇いながら、蔑むような冷たい目を兄に向けた。その視線に、うっと巴が動きを止める。
「……陽子さん、お願いですから大事な話の途中で引っ掻き回さないで下さい」
 冷静に割り込んできた悠貴に苦笑いを返して、陽子は空いている椅子に座り、霧香にも座るように促す。ただ座るだけの動きでも陽子のそれは優雅で目を奪われてしまう。
「とりあえず、白銀側の状況を話すわね」
 真剣な口調になって陽子が話し始める。
「霧香を逃がしたとわかった瞬間に、外国への移動手段を絶ったわ。飛行機、船、あらゆる機関に手が回ってる。霧香の網膜や指紋、骨格に重点を置いて該当する者にチェックが入るようになってるわ」
「いくら外見を変えたってダメってわけか」
 必ず個人と断定できるもの。
 まだ逃げ出してからそんな日数は過ぎていないのに、動きが早い。
「最初から外国に行くつもりはありませんでしたが……、巴のカムフラージュはどうなってました?」
 陽子は肩をすくめ、小さく首を振った。その動きだけでわかったのか、巴がうめき声をあげる。マジかよ、と吐き捨てるように言った。
「戻ってきた一紀がプログラムに網をかけて、カムフラージュしてるものをあっさり捉えて捨てたわ。それでも一日はかかったみたいだけど」
「あれを一日?! どんな頭してんだよ!」
 巴の機械を操る頭脳もトップクラスで、世界一、二を争うプログラマーだって半年はかかるだろうプログラムを組み、白銀のコンピューターに放り込んだ。それによって、霧香の情報が混乱し、カムフラージュとして作り上げた幾千もの偽情報が飛び交うはずだった。それが解決するまで、少なくとも一ヶ月は見積もっていたのに。
 悔しげに顔を歪める巴の様子に、霧香はぞくりと背筋に走る悪寒を感じた。
(――逃がさないよ、霧ちゃん。)
 まるで、そう言われているようで。
「ともかく、この国からは出られそうにないわね。唯一の救いは、それでも巴のおかげで、下手に動かなければ、ここが見つかる可能性は低いってとこ」
「陽子さん?」
 言われた言葉の意味がわからずに、問うように彼女を見ると、きょとんとした視線を向けられた。
「あら、霧香。聞いてないの?」
「ああ。そーいや、まだ言ってなかったなぁ」
 呑気そうな返事をしたのは巴で、悠貴も「そういえば」と思い出したように言う。疑問に思って全員を見回す。
「たいしたことじゃねーんだけど」
 がりがりと頭をかいて巴が答えてくれる。
「俺の特殊能力みたいなもんがあってさ。周囲にいる奴らの気配を消せるんだよ」
「えっ?!」
「で、それを研究して気配を消す機械を作ったんだ」
 巴の言葉に、陽菜が言っていた言葉を思い出す。気配は巴が消してくれていた、と。そうじゃなかったら、気配に聡い霧香が気づかないはずがない。気配をつかむことができるのは、もう本能のようなもので、たとえ気配を殺すことができたとしても、霧香相手では容易にできない。