02. LostWorld没ネタ編。

2010年04月27日

没ネタ3(Lost~)

 世界は広い。
 天界だけでも数多の種族が棲み、更には幾重にも積み重なった空間に存在する星や空間領域。勿論、そこに存在する生命体。何百年、何千年を生きて旅しようとすべてを見るのは神々であっても到底敵わない。だからこそ、興味は尽きることなく、またそこでの出会いに好奇心を擽られる。
 次期神帝として天神界に常に在ることが義務付けられているとはいえ、ユーファ自身も幼い頃から本やら書類、講義果ては会議で話しに聞く異種の生命に興味を持つのは当然で、更には仕事では書類上でその生命体の存在を左右する判断をしなければならず――勿論、そのために多くの手足となる唯一神たちや元老神がいるわけだが――、存在を知ることなく決断するには胸の片隅にいつも躊躇いが残る。だからこそ、どんなに厳しい罰が待っているとわかっていても、飛び出してしまうわけで。
「……ユーファ様。だれに向かって言ってるの?」
 唐突に持っていた本をぐいっと下げられて、キレイな琥珀色の双眸が目の前に現われた。
「わっ?!」
 思わず声を上げて後ろに下がろうとしたところで、座っていた椅子の背もたれにぶつかる。衝撃を受けた背もたれ共々そのまま倒れようとした瞬間、腕をつかまれた。どさっと椅子だけが床に倒れる音が聞こえる。
「ヴィ、ヴィーナっ? び、びっくりした……」
「どうしてそんなに驚くのかしら? なにかやましいことでも?」
 神々の女性のなかで最も美しい女神と称えられ、美の女神の敬称を戴いている彼女は、その美貌に意地の悪い笑みを浮かべる。どんな表情をしたところで見惚れずにはいられない顔は間近で見つめられるだけで頬に熱を持ってしまうところだが、長い付き合いのユーファは思わず溜息をついた。
「違うって。っていうか、やましいことをした結果が今なんだけど……」
 床に倒れてしまった椅子を戻して、再び座りなおす。
 目の前―というより両方にうず高く積まれた書類は立ったままのヴィーナと同じくらいの高さにある。さっきの衝撃でも倒れなかったのはなんらかの術がかけてあるに違いない。最も、両方から倒れてきたら間違いなく埋められてしまっていたところだ。
「さっき聞いたところよ。第二星系まで出掛けたのを元老神のひとりに知られ、急遽ザナンに連れ戻されて神帝のお叱りを受けたって」
「――そのあと、老師に仕事を回されて、シスイの監視で執務室に閉じ込められてるって聞いたの?」
 面白そうににやにやと笑うヴィーナに不満顔で付け加える。
 抜け出すのはいつもののこととはいえ。よりにもよって元老神のひとりに見つかるなんて――。本来、見つかるはずのない時間帯だったのに。仕事は一段落、会議も会合もない。次期神帝としての役目が空いているところで、息抜きできる時間だった。天神界にいるのなら問題はなかったところだが、第二星系にいる飛龍族に会いに行ったところで偶然、神帝の命で飛龍族の族長と話していた元老神のひとりに見つかってしまった。
 あれが若い神なら丸め込んでどうにかなったのに。
 よりにもよって、元老神――。
 <誓言>であるザナンを呼びつけられて神帝のもとに直接連行されてしまった。まさに言葉の通り、首根っこを掴まれて引きずられるまま。
 その後は一連作業。
 神帝に叱られたあと、老師に説教をうけ、シスイに皮肉を言われながら仕事を増やされ、今に至る。
 もう数えるのも馬鹿らしいくらい繰り返してるんだから、諦めてしまえばいいのに。叱ることも。説教も。
「っていうか、ユーファ様こそ諦めなさいよ。神帝が天神界から出ることが問題なんだから」
 向かい側に座って、頬杖をついたヴィーナは呆れたように言った。そんな仕草さえ優美な動きになってしまっている。
「まだ神帝じゃないって。それより自由はあるはずなんだけど」
「なにかあってからでは遅いのよ」
「まぁ。そのときはファズライがいるでしょ」
 幸いにもユーファには弟の存在がある。ファズライは優秀で、実質ユーファに劣るところは見られない。むしろ、神としての自覚があるだけ、次期神帝に相応しいといってもいい。ただ少し、彼にはユーファべったりなところがあるから、そこが問題だ。うっかり次期神帝に代わりにならないかなんて、言ってしまえば最後。「僕と姉さま以外の生命を滅ぼしていいんだったら代わってもいいよ」とかなり真剣な顔で言われてしまった。神の自覚はあっても、神帝としての役目はまるで無視らしい。
 それでも、ユーファに何かあったときには彼が次期神帝。
 神は性格に一癖二癖あって当然だから、まぁなんとかなる、かもしれない。
「――そうならないために、あなたを鳥籠に入れておくの」
 さっきまでの面白そうな含みのある声とは違って、真剣な響きがある言葉に、ハッと視線を向けると、射抜くような鋭い視線を投げかけられていた。いつも面白いことを探して一瞬ごとを楽しんでいる彼女の真剣な表情は滅多に見られず、それだけに本気が伝わってくる。
 どうやら、ヴィーナの禁忌に触れてしまったらしい。神帝からのお叱りや老師の説教。次々に重なる仕事の量に気持ちがささくれ立って、いつもは飲み込むはずの言葉を反射的に言ってしまったことに気づいた。
 美しい顔に氷のような冷たさが宿る。
「ファズライ様がいる。そんな気持ちで飛び出していくなら、私も鳥籠の出入り口を塗り固めることに賛成するわよ」
「ヴィーナ……」
 どう返事をすればいいのか探している間に、彼女はすぐに纏っていた冷たい空気をかき消し、いつもの華やかな笑みを浮かべた。
「私は<誓言>を諦めて、貴女の親友という立場で甘んじてるの。その立場まで危うくするような真似はしないことね」
 つまり、ユーファが神帝にならなかったら――その素振りを見せたら、他の神々と同じ閉じ込める側に回る、と堂々と宣言されたようなものだった。
 胸にずしりとした重みを感じる。
 叫びだしたい気持ちが膨れ上がってくる。それは次期神帝としてじゃなく――ユーファ自身が抱える問題だ。
 今はまだその問題と向かい合うには心の準備ができていない。
 だからこそ、誤魔化すために、はいはいと軽い口調で応じる。
「わかってるって。だからこうして大人しく仕事してるでしょ」
 わざとらしく読んでいた書類を手に取り、ヴィーナに向かってひらひらと振って見せた。疑わしい視線を寄こしていた彼女の目が不意に驚いたように見開かれる。焦った様子で紙を取ろうと身を乗り出してくる。
「ちょっと、その書類!」
「ヴィーナのところで開催される世界一の美の神を決める大会にかかる予算増額願い、だね」
「その担当は別の唯一神のはずよっ。どうしてユーファ様がっ!」
「どうにかしてほしいって回ってきたみたい」
 にっこりと微笑んでみせる。
 ヴィーナの言う通り、予算を組む案件は唯一神の担当で、最終決定もまた、別の機関に回されるから、本来はこういった書類は回ってこない。けれど、ヴィーナは美の女神として崇められているのと同じくらいに、我侭な女神としても恐れられている。無理な予算願いとはいえ、容易く却下してしまえば、乗り込まれること間違いない。どんなに遠目からであっても見た瞬間に見惚れずにはいられない華やかな美貌に間近で迫られたら、無理で無駄な予算であっても、断りきれないと判断したらしく、ユーファに回ってきたというわけだ。
「第一、あの大会の予算は開催するのに十分な予算は出てるでしょ。なんでこんなにかかるの?」
「それは、……大会の規模を大きくするのよ」
「天界で世界一の大会なのに、あれ以上は大きくできないから!」
「これまで以上に盛り上げるための必要経費よ!」
 必死に言いつくろうヴィーナに呆れる。あの大会は天界でも一、二を争そうイベントだ。美しさを競うことも大切かもしれないが、あんなに盛大な大会にする必要があるか見るたびに疑問を抱くけれど。
 まぁ、何事にも自らの関心ごとにしか楽しもうとしない神々のほとんどがこの大会だけには興味を向けているから、いらないとは言わないけれど――。それにしたって、前回の二倍の予算増額なんて。
 もっとも、その理由はすぐに察することはできる。
「前回、あと少しでシスイに負けそうになったから、今回は派手なパフォーマンスでも考えてるんでしょ? そのための経費じゃないの?」
 美の大会は男女の選定はない。美しければ、誰でも参加できる。前回はシスイが参加して、審査員の評価はふたりに分けられた。彼と、存在した瞬間から大会優勝を連続制覇してきたヴィーナに。
 わずか百人の審査員の中、三人の差でヴィーナが勝ったものの、これまで全員一致で勝ってきた彼女は危機感を覚えたらしい。
「ユーファ様がシスイを参加させたんでしょ」
「うん。嫌がらせにね」
「だったら、私の優勝に責任持って」
「ヴィーナの美しさに敵う者はいないよ。だから自信を持って。下手にパフォーマンスするより、いつも通りで……」
「違うわよ。今回もシスイに参加するように命じてってこと」
 思いもがけない言葉に呆然となる。
 まさかそうくるとは思わなかった。シスイが参加しなければ、容易く優勝できるはずなのに。
 ――最も、ヴィーナは負けず嫌いだから、不戦勝は納得できないのかもしれない。
 そう思っていると、当然デショ、と彼女はさらさらと煌く長い髪をかきあげながら不敵な笑みを浮かべる。
「ライバルに圧倒的な差で勝ってこそ、ナンバーワンよ!」
 めらめらと炎を宿すヴィーナはすでに別世界に旅立っている。
 手にしている書類を読み返しながら、さっきの話を逸らせたことにこっそりと胸を撫で下ろす。
 あのまま続けていたら、察しのいいヴィーナは胸の奥に隠している私の本音を容易く見透かしてしまったかもしれない。そうなれば、彼女はすぐに鳥籠の出入り口を塞ぐ準備を始める――ような気がする。他の神々を巻き込みながら。最後には神帝にも知られてしまうことになるかも。
 その危険性を感じて話を逸らしたのはいいけれど、それにしても、と溜息が零れる。
 前回はシスイに貸しを作れたから、いつもの仕返しに嫌がらせを込めた命令を実行させた。つまりはヴィーナ主催の美の神の大会に出場させた。あれは普段有り得ないくらいの貸しを作れたからで、二度目があるとは思えない。終わった後も、思い出したくない。二度と出ないと、散々皮肉混じりの愚痴を言われた。あのあと、しばらくはそれとなく仕事が増え、その中に<誓言>への許可書が混ざる量も増えて、私も二度と嫌がらせはしないと肝に銘じたところだった。
 さて、どうしたものかと頭を抱える。
 目の前にはやる気になっている親友、ヴィーナの姿。脳裏には断固としてでるつもりはありません、と言い放つ補佐官、シスイの姿が浮かぶ。
 手にしている書類を却下したとしても、はたして彼女がシスイ参加を諦めるとは思えない。
 話を逸らした先で再び、悩むことになって、思わず今日の不運に重い重い溜息が零れてしまった。