03. 巡る恋唄

2007年11月01日

一、鬼を狩る少女(3)

 「あらあら。デートの約束? あの男の子もやるわね」
 再び扉が引かれて入ってきたのは、この保健室の主だった。
 肩よりも長いまっすぐな黒髪はさらさらと揺れ、切れ長の黒い瞳は楽しそうな光を宿している。色白い肌に口紅を塗っているわけでもないのに赤い唇。一見、日本人形のような姿は、しかし裏腹にその性別は男性だった。赴任してきたとき、その事実を知ったほとんどの男子生徒が絶望に呻いた。それでも通りすがるだけで、教師を含めて見惚れてしまうほど美人で、本気で惚れこんでいる者もいるらしい、と友達が言っていたことを思い出す。これで同性愛者だったり、女装が趣味とかだったりするなら、まだ許せる。だけど、ただ人を振り回すことが好きなだけでこの姿をしているという人間に惚れるのは悪趣味としかいいようがない。勿論、そんな内面を欠片として見せることはないけれど。外面だけはいい。その証拠に、土岐くんだけには気配を悟られないように隠れていたのだから。呆れてその事実を突きつける。

 「聞いてたんでしょ」
 「あーら。当然デショ。大事な婚約者に変な虫がつこうとしてるのに見逃すわけないじゃない」
 「朔夜!」
 肩を竦めて言われた言葉に、ハッと息を呑む。思わず咎めるように呼んでいた。
 「どーしたの?」
 怒ってる理由が全くわからないとばかりに目を瞬かせる。不意に顔を覗き込むように上体を屈めてくるから、纏っている白衣から薬品の匂いに混ざって煙草の香りが鼻についた。思わず眉を顰める。一歩後ずさって、制服のスカートのポケットを探った。入れておいた巾着袋を取り出して、朔夜に押し付けた。
 「鬼珠?」
 頷くと、朔夜はそう、と興味なさげに白衣のポケットに無造作に入れる。そのまま歩き出して、保健室に置かれた専用の机に向かう。黒塗りの椅子に座って、くるりと回転させると、手招きをした。それに従って近寄り、目の前に立つと右手を取られた。見上げてくる目が、心の奥まで入り込んでくるようで、思わず視線を逸らす。くすりと笑う声が聞こえた。

 「今日は時間あるわよね?」

 逸らしていた目を向ける。それを聞いたとき後悔が押し寄せてきた。鬼珠を渡すのを早まった。渡さなければ数日は鬼狩りを理由に誤魔化せたのに。そう思ったことが顔にでていたのか、朔夜の瞳に鋭い光が宿った。ぴんと空気が張り詰める。
 「紫(ゆかり)」
 「……食事だけなら付き合うからっ」
 強い口調で名前を呼びかけられて、懇願するように言う。もっと何かを言われると危惧していたけれど、意外にも朔夜は柔らかい笑顔を見せて、頷いた。
 「そうだね」
 貰えた返事にほっと息をつく。だけど、まるでそれを狙ったかのようなタイミングで続く言葉を言われた。
 「明日の朝ご飯までたっぷり付き合ってもらうよ」
 突き付けられた言葉に胸が詰まる。絶望が徐々に支配しようとする心の中で、必死に抵抗しながら、首を振る。弱いところを見せるのは嫌だったけれど、泣きそうになる口調を変えることはできなかった。

 「今日はやだ…」

 「仕事が終わるまでそこのベットで眠ってなさい」
 拒否しても、握られていた手を引っ張られて、朔夜の腕の中に捕らわれる。
 「……やだ」
 繰り返し首を振っても、聞き入れてもらえずに、髪を撫でられる。それが合図でもあるように、意識が奥深くに入り込んでいく。睡眠不足のこともあって、その術に抵抗することなく、朔夜の腕の中で眠りにつくしかなかった。

 備え付けのベットに紫を寝かせて、音を立てないようにカーテンを引く。椅子まで戻って座ると、ポケットに入れていたものがじゃらり、と音をたてた。巾着を取り出して、鬼珠を手の平に取り出す。水色赤色黄土色、様々な大きさの色がある。その中に蒼色がないことに気付かないと思っているのか。

 「どっちにしても全部集めないと封印は解けない。解かない」
 言い直して、鬼珠に意識を集中させる。それは淡く白い塊になって朔夜の口の中に入りこんだ。
 すぅと吸い込んだあと、力が溜まっていくのを感じて、息をつく。これでまた近づいた。だけど、まだまだ足りない。そう思ったとき、ふと声が聞こえた気がして、視線をカーテンに向けた。暫くじっと意識を集中させても、それが再び聞こえることはなくて、張り詰めていた緊張を解く。それでも、夢の中まで探ることはできない。深い眠りは夢を見ることがないとはいうけれど、確実ではない。だったら、もっと縛り付けておかないと、安心できない。

 「今も昔も、――これからも。あの子は俺のものだ」
 二度と。邪魔もさせないし。誰にも渡すつもりはない。逃がすつもりもない。そのためなら、なんだってする。そう、なんだって ――― 。それはそう。とても自然なことなんだと、それを刻み付けるためにも早々に仕事を終わらせなければ。キャスターを回して机に向き合うことにした。