13. 見果てぬ夢(仮)

2009年06月23日

01:始まりの朝(1)

―― 海の匂いは好きじゃねぇな。
 暗闇の中でも目立つ派手な赤色の大型バイクに寄り掛かりながら、目の前で月明かりに照らされている海に視線を投げる。煙草を銜えてなかったら、舌打ちを鳴らしていたところだ。潮風もバイクにいいとは言えない。
(明日は仕事も休みだから、久々にメンテナンスするのも悪くないな。)
 最も、今夜の計画が上手くいけば、というところだろう。
 計画を立てたものの、すでに手から離れてしまった今は、どう転ぶかは実行者にかかっている。腕に嵌めている時計を確認する。丁度針が三を示したところで、自動車のエンジン音が聞こえてきた。

「相変わらず、正確なヤツだ」
 もう少しルーズなら可愛げがあるものを、と苦笑いしながら寄り掛かっていた背中を起こして、バイクに向かい合う形で止まった自動車に身体を向ける。
 黒のBMWは持ち主の性格を思わせるように埃ひとつなく暗闇の中でもわかるほどキレイにしていて、月明かりに反射し輝いている。ドアが開いて、黒いスーツを纏った青年が降りてきた。美の化身とでもいうのだろうか。整った顔に鼻や目、唇がバランスよく位置し、一見性別不明なほど美しく見えるものの、表情はぴくりとも動かず、ただ肩よりも下あたりまで伸ばされた長い黒髪が風に揺れていた。出掛ける前は、ひとつに結んでいたなと思い出した。光加減で金色に変わる目立つ自分の髪とは裏腹に、艶やかな黒一色のその髪を羨ましく感じていた。もっとも、自分の男らしさがある顔つきは気に入っているし、それをネタに目の前の男をからかえるのは愉しみのひとつだが。

「時間通りですね」
 表情と同じく平坦な口調で告げられ、にやりと笑みを返す。
「俺の計画が完璧な証拠だろう」
「何とでも言ってください。それより、部屋は用意できているんですか?」
 自慢げに吐いた言葉はあっさりと一蹴され、話題を変えられた。つれないね、と肩を竦めて、金色に煌く瞳に睨まれる。それに苦笑が浮かんだ。
「ああ。トラップを何百通りもかけて、そのなかにひとつだけ準備しておいた。いくら白銀の双頭であっても、そう容易くは見つけられないさ」
「見つからない、というわけにはいかないでしょうね」
 相変わらず表情は浮かんでいないものの、口調に物憂げな調子を感じ取って、思わず目を瞠った。それに気づかれる前に、すぐに言葉を返す。
「無茶言うな。俺はそこまで自分を過大評価できねぇよ。白銀のアニキは直感力に優れ、統率力や判断力がずば抜けてるし、弟は一見柔らかい印象に誤魔化されてしまうが、俺が世界トップに認めてもいいほど頭がキレる。今回俺が裏をかけたのは、奇跡だってくらいな」
「……そうですね。そうでなければ、彼女を隠し捕らえたままではいられなかったでしょう。彼らだからできた、僕もそう認めてはいます」
「だが?」
 頷きながらも、言葉が続きそうだと先を促す。
 視線を暗闇に染まる海へと向け、その先の何かを探すかのように目を眇める。無表情なはずのその横顔にわずかに憐れみが浮かんでいるように思えた。同情、と決めつけるには、青年が感傷を抱く性分ではないことを知りすぎていた。年齢のわりに大人びている。そうであることを求められているのだから仕方ないかもしれないが、こうした表情を目にすると、胸のどこかでほっとしている自分を感じる。
「ですが、陽子さんや陽菜さんの言うように、彼女は羽ばたくべき存在でしょう」
 結局は写真や映像を通してしか見ることがなかった今回の標的である少女の姿を思い浮かべる。
 白銀家の双頭と呼ばれる双子が大切に隠している宝珠。
 最初に聞いたときは儚く弱々しい雰囲気を想像したものだが、陽子さんや陽菜の話から聴くたびにその印象は心根の強い、頑固な少女へと変化した。確かに言われて見れば、写真で見るぱっちりとした黒い瞳には気の強そうな光が浮かんでいた。本来は長い茶髪も、双子のどちらかは忘れたが、長い髪が好きだと言われてその次の瞬間には自分ですっぱり耳のところまで短く切った、と陽菜が教えてくれた。その際、相当の罰を与えられたらしい。双子は直接的体罰を与えることはしないが、まるで真綿で首をじわじわとしめつけるような、精神的苦痛を与えるのだそうだ。
 それを思い出して、胸糞悪い気分になった。たとえ地位や権力があったところで、誰かを思うとおりにしていいはずがない。

『ともにぃ。おねがい。キリちゃんを助けて。おねがい。キリちゃんはあんなところにいちゃいけないの。陽菜はキリちゃんの笑顔がみたいの。おねがい!』

 幼い陽菜が精一杯の気持ちをぶつけてきた。
 泣きじゃくりながら、たすけて、と。キリちゃんをたすけて。そう繰り返し、全力でぶつかってきた。
(あんなふうに言われて、動かなきゃ男じゃねぇよな。)
 女の子ひとり助けられず、小さな女の子の本気のお願いを聞き届けられなくて、男である意味がない。そうして、実際に彼女に会った向かい合う青年の言葉に自分が間違っていなかったことを確信する。
「陽子さんの頼み、陽菜の願いだ。俺たちが飛ばしてやろうぜ」
 力を込めて言えば、青年の目が向けられる。夜の闇でもきれいに煌く金の瞳には強い光が浮かんでいて、それが同意であることは長い付き合いからわかった。表情は変わりがないのに、今夜は容易く青年の心を見透かせることに好奇心が疼く。
「気のせいか、おまえも随分この件は乗り気だな。どうしてなんだ?」
 珍しい、と含んだ口調に、青年は再び視線を海へと戻しながら、更に珍しいことに嬉しげな響きがある声を放った。
「それは、秘密です」
 思いがけない言葉を返されて、銜えていた煙草がぽろりと落ちた。