13. 見果てぬ夢(仮)

2011年12月11日

02:幸せの在処(1)>見果てぬ夢(仮)

 ――半年後。
 目まぐるしく変化した環境だったけれど、霧香にとってはひとつひとつが新鮮で、きらきらとした宝物のように輝き、わくわくと弾む気持ちで受け止めていた。
 学校も、そこで出来た友達という存在も。また、それ故に向けられる、自身へのけして良いものだけとはいえない感情も。
 ほんとうに狭い世界で日々を死んだように過ごしていた霧香にはなにもかもが、生きていることを、自分が感情のある人間だということを実感させてくれる糧のようなものになっていた。

 授業が終わり、マンションまでの帰り道を数人のクラスメイトと歩く。授業内容から今流行の歌や雑誌、話題がいろんなところに飛び火してめぐりながら、それを楽しく聞いていた霧香に急に矛先が向けられた。それも意外な――女子高生にすればあたりまえの――話題で。

「そういえば、霧香は好きな人とかいないの?」

 転校初日に好奇心一杯に話しかけてきた竹下(たけした)恵(めぐむ)が、そのときと同じ口調で言う。肩までの黒髪が首を傾げる動きに揺れた。

「――好きなひと?」
「霧香は可愛いもんねー。すでに彼氏がいちゃったりするんじゃない」

 ――彼氏。

 わいわいと想像を膨らませ、楽しく話しているクラスメイトをよそに、霧香は考え込む。
 好きな人は、陽菜に陽子さんをはじめ、助けてくれた悠貴さん、兄のように頼れる巴さん。なんでも丁寧にわかりやすく教えてくれる明くん。
 閉じこめられていたあの時期を思えば、大切にしたい人たちは増えている。
 だけどきっと、彼女たちが聞きたい彼氏という存在はそういうのとは違うような気がする。

 考え込んでいると、急に甲高いブレーキ音が聞こえ、目の前に赤いオープンカーが止まった。
 運転席に座るサングラスの女性が片手を挙げる。

「はぁい、霧香。お姉さんとデートしましょ」

「……陽子さん」

 目はサングラスに隠れているけれど、赤く艶やかな唇が弧を描いていて、笑っているのがわかる。黒いロングのワンピースは身体にぴたりと合い、赤いハイヒールとともに、更なる妖艶さを漂わせている。

「わっ、陽子サマ! お久しぶりです!」
「お会いしたかったです! こんにちはっ!」
 友達が一気に陽子さんに駆け寄る。
 時々、通学中に霧香の傍に姿を現す大人の美女は彼女たちの憧れの的になってしまったらしく、またフレンドリーな空気も相まって、とても慕われていた。

「わたしも会いたかったわよ、ガールズ! 一緒にお茶でもしたいんだけど、残念ながら今日は急いでるから、霧香だけお持ち帰りさせてもらうわね」

 にっこりと微笑む様子に空気までが和らぎ、霧香以外の全員がうっとりと見惚れる。
 自分の魅力を最大限に振りまいて、周囲を虜にする陽子はわかっていてしているから、腹黒い。
 霧香は促されるまま、彼女の車に乗り込み、助手席に座る。シートベルトを締めたと同時に、陽子はバァイと手を振り、車を発進させた。
 ミラー越しに見えた友達の目がはぁと型になっていたような気がして、霧香が苦笑する。

「で、今時の女子高生はなにを話してたのかしら?」
「好きな人について、かな」
「女の子の話題はいつだって、それよね。うんうん、そうこなくっちゃ!」
 顔を輝かせて、陽子さんがわくわくとした口調で言う。
「霧香はクラスにできたの、好きなひと」
 うーん、と正直に疑問を口にする。
「好きな人って、陽菜や陽子さんに感じてる『好き』じゃないの?」

 もちろん、違うわよ。

 即座に陽子さんが首を振る。
 そうしてため息をついた。
「そこらへん、霧香は未発達よね。環境があれだったから仕方ないけど――」

 どきりと胸が鳴る。
 背筋に冷や汗が流れる。押し込めて忘れることにした過去がよみがえりそうになって、ぎゅっと手のひらを握りしめた。

 まだ、半年。
 たった半年でも、縛られることのない自由を満喫している。憧れていた学校にも通えた。友達も出来た。なにより、陽菜や陽子さんとこうして楽しくお喋りできる。
 もう二度と、あの部屋に戻ることなんて。三人だけの、ある意味、独りぼっちの狭い世界に戻るなんて考えられない。

 不意に頬に鋭い痛みを感じて我に返る。

「っ、いた! よ、陽子さんっ!」

 ギュッと頬をつねられていた。

「こーら、なにを考えてんのよ」
 容赦ない力にギブギブと、頬を摘む手をたたく。
 ふふっ、と笑みをこぼして話を戻した。

「彼女たちが言う好きな人ってのはね。一緒にいてどきどきしたり、そのひとを想うと胸がぎゅっと切なく痛んだり、触れられると嬉しかったり恥ずかしかったり、ついついその人のことを考えちゃったり……って、なんだか言ってる私が照れるわ」

 陽子さんが自分の顔をパタパタと手で仰ぐ姿を横目で見ながら、言われたことを反芻する。

 ……まさか。
 まさか、そんなわけ。
 否定しながらも、陽子さんが言った言葉は当てはまる。
 そう気づいた途端、顔が一気に熱くなったような気がして、思わず両頬に手のひらをあてる。

「なっ、霧香! なによ、その顔。なにか思い当たることもでもあったわけ?!」
「よっ、陽子さん! 前っ、前見て!」
 驚いたように叫ぶ彼女に慌てて叫び返す。
 ハッとした顔で視線を前に戻されたことに胸を撫で下ろした。
 気まずい空気が漂い始める。

「……で、白状しなさい。思い当たったのはだれよ?」

 穏やかな口調には、剣呑なものが宿っていて、まるで真綿で首を絞められているみたいに息苦しいものを覚える。

 白状した途端に、その相手を殺しにいきそうなんですけど。

 サングラスを掛けていて目が見えないだけに、余計な恐ろしさを感じてしまう。
 沈黙で押し通そうと試みるものの、更に言い募られる。

「まさか、巴とか言わないわよね。有り得ない、そんなの絶対無いわよね?! いえ、あるはずないわ!」

 相変わらず、陽子さんは巴さんには厳しい。
 頷くわけでも、否定するわけでもなく、苦笑いを零す。